憧れの山、霊仙山へ。
霊仙山への紆余曲折
霊仙を知るきっかけ
山登りを始めてまだ間もない頃、「まずは御在所に登ろう!」と、昭文社刊行の「山と高原地図 44 御在所・霊仙・伊吹」を購入した。御在所岳は「御在所ロープウェイ」のある場所としてなんとなく名前を知っていて、伊吹山は地理的な知識としてその存在を知っていて、この地図のタイトルの真ん中に堂々とある霊仙の名前だけは知らなかった。
御在所岳や伊吹山と肩を並べるように書いてあるのだから、さぞや名峰なのだろうと思って画像検索の結果を見て、その奇異な光景に「ここへ行きたい」と思った。
遠ざかる霊仙への思い・思い込み
「行きたい」と思ったら当然そこへの道のりを調べるわけで、地図は地図としてそれとは別に、「自分でも登ることのできる山だろうか?」と、登山道の写真を掲載している情報サイトやブログなどを当たった。そんな中、(今となっては印象だけで明瞭な記憶はないが)霊仙山の登山道に関して「道が解りにくい」とかそれに類する記述がなされているのを発見して、「もしかしたら、これは迂闊に入山したら遭難するのではないか?」と思ったところから、それ以降は霊仙山という存在そのものに対してネガティブな感情を抱くようになっていた。
やっぱり登りたい
霊仙山のことなどすっかり忘れて2年が経ち、Facebookで友達の友達が「霊仙山へ行ってきた」という趣旨の投稿をしているのが目に留まった。その投稿にはもちろん写真も添付されていて、そこに写る霊仙の姿と、自分が2年前に写真で見た霊仙の姿とが重なり、「あぁ、やっぱり。自分はこの山に登りたい」と、強く思った。
危険やリスクを察知してそれを事前に回避するというのは生物として基本的で本能的で正しいことなのだろうが、理性的に「ここへ行きたい」と思った。
如何にリスクを減らせるか
毎年遭難者が出ているという霊仙山。今年も3月に、霊仙山で大阪の会社員の男性が遭難する事故があった。平成30年6月21日に警視庁生活安全局地域課が発表した「平成29年における山岳遭難の概況」によれば、山岳遭難の様態の約4割りを道迷いが占める。これに次ぐ様態は滑落、そして転倒だ。滑落、転倒はまぁ置いておくとして、道迷いを減らすことができれば、遭難のリスクはぐんと下がる。山岳地図の読み方に関する書籍でも読んだことがあるが、読図の間違いは道迷いに繋がる。言葉にして指摘されればその通りだが、要するに、今自分が地図上のどの地点を歩いているのかということを正確に知ることで、道迷いの可能性を除去することができる。
自分自身はソロ登山者なので、将来的なことも考慮してGPS時計を購入し、山行に導入した(ステマっぽいので、ここでは製品名の記載は控える)。決意も決まり、リスクも減ったところで、霊仙山での活動計画を立て始めた。
準備
ルート選択
霊仙山頂へ至る登山道はいくつかある。
- 柏原駅から登るルート
- 梓河内から登るルート
- 広畑コース
- 榑ヶ畑登山口から登るコース
- 今畑から登るコース
2.の梓河内から登るコースは地図に「荒れていて道がわかりにくい」とあるので除外。3.の広畑コースは、このコースに至る谷山谷道が土砂崩れの復旧工事のため通行できないため除外。4.の榑ヶ畑登山口から登るコースは、醒ヶ井養鱒場へ至るバスが廃線になっているために除外。
5.の今畑から登るコースは、近江タクシーの運行する愛のりタクシー(河内線)を利用して南彦根駅から今畑までアクセスできるが、出発時間と予算を考慮して除外した。その他を色々と考慮した結果、柏原駅から往復するという方針で計画を立てた。
※ 車で行くなら、榑ヶ畑登山口に駐車場があるので、そこに車を停めて登るのが体力的には最適だと思われる。
ヤマビル対策
ヤマビルと言えば、 小学校の頃に校長先生だか教頭先生だかがしてくれた話をなんとなく思い出す。どんな文脈で、いや、どんな場面でその話をしていたか、暗い中、大勢の生徒がいる中での話だったので、恐らくはキャンプでの集会のようなところで話があったように思われるが、とにかくその先生は登山で鈴鹿山脈の山々に登った話をしてくれた。猿に襲われた話もあったがそちらは印象にはあるもののインパクトに欠け、やはりヤマビルに襲われた(この表現が正しいのか分からないが)話が強く印象に残っていた。まぁ何の事は無い、テントを張って一泊して朝起きたらテントの底面が湿っていて、テントの中にヤマビルが侵入していて吸血されていたというだけの話なのだが、この話を聞いた時に「鈴鹿」と「ヒル」という2つの言葉が強い関連を持つものとして自分の中にイメージを形成していたので、今回も当然「霊仙」→「鈴鹿」→「ヤマビル」という連想ゲームは、意図するまでもなく開始され、意識することもなく終了していた。
- 厚手の靴下を履くこと
- トレッキングパンツの裾を靴下の中に入れること
- 休憩の際になるべく樹の下に立ち止まらないこと
- 衣類にアルコールを吹き付けること
いざ、霊山
※ コースタイムなどについてはYAMAPのほうに情報を出しているので、以下を参照のこと。
柏原駅〜一合目
案内板に従って山手へまっすぐ進んで山際の手前を走る高速道路の高架をくぐると、右手に登山ポストが設置されている。提出用に登山届が用意してあるような書かれ方もなされているが、確認した限りでは用紙は無かった。ただ筆記用と思われるペンはあったので、不定期に補充をしているのかもしれない。用紙が用意されていようがされていまいが、そんなものは個々の登山者それぞれの責任において事前に準備しておくべきもので、例に漏れず登山届を提出する。
熊出没注意の看板が多いので、ここからは伊吹山で買った熊鈴を付けていよいよ山へ入る。
登山ポストから先へ進むとまだ道は舗装されており、車一台は通ることができる程度の道幅がある。道の周辺は田んぼを囲うようにして害獣避けの鉄柵が張り巡らされ、ところどころイノシシ対策と思しき箱罠やくくり罠が設置されている。罠の設置警告はしっかりなされているが、うっかり道を外れると怪我をしかねない。熊はともかく、イノシシについては上顎骨が道端に落ちていたので出没するのは確かなようだ。
橋のすぐ先に落石注意の標識がある。実際、この標識の先の道は右手の斜面がガレガレで、路面にも石がゴロゴロしている。角が鋭いので、当たれば打撲よりは裂傷になるだろう。
やがて道路の舗装もなくなり、とはいえそれなりに整備された道に入る。ところどころ崩れている部分を避けながら進むと、やがて一合目へ辿り着く。
一合目〜四合目
「あぁ、谷底の川沿いを進むんだね」と思っていると、それどころか川を進むことになってくる。これを越えると今度は眼下に谷底の川を見ながら、細い足元を斜面に沿って登って行く。
一合目から15分ほど歩いて二合目に到着する。この2本の太い木が、おそらく二本杉。
二合目から少し登ると稜線に出る。稜線を歩くのはどうしてこんなに楽しいのか?
二合目から25分ほどで三合目へ到着。柏原からの登山道の案内は上の写真のようになっている。
三合目からすぐのところで進行方向左側(東側)が開けて展望の良い場所へ来る。この時点で既に雲が迫ってきているのが分かった。
三合目から10分ほど歩いて四合目へ到着。このコンテナが避難小屋ということなのか?
地図には括弧書きで"使用不可"と記載されているが、窓が割れて扉も取れて、床板も抜けているのがその所以だろう。ここで適当に休憩を取ってから再度出発した。
四合目〜八合目
四合目から五合目までは約10分。五合目の標識は登山道からやや離れたところに立てられており、足元ばかり見て歩いていると見落としてしまいそうである。この辺りから植生が変わってきて、実際に登ってきた高さを実感し始める。
休み休み登って20分ほど来て六合目。そろそろ小腹が空いて来たのでおやつにする。
六合目を過ぎてこの山を登っていく。疲れてはいるが、ワクワクしてくる。
やたらと新しい看板に登山道がしっかりと整備されていることに感謝したり、倒木の表面に新しい命が生きているのを見つけながら進む。
六合目から15分〜20分ほどで七合目へ到着。
七合目からさらに15分ほど歩いて八合目に到着。
八合目〜山頂一帯
八合目からは道が少し分かり辛かったが、なんとなく下って行くと視界が一気に開け、山の輪郭に三角屋根の避難小屋が見えて来た。
これが経塚山。
奥のピークが霊仙山山頂。東からの雲を纏った風があまりにも強過ぎるので雲が過ぎるのを待とうと思って岩陰に隠れた時に撮影した。
そしてここで問題発生。ヤマビル対策でトレッキングパンツの裾を靴下の中に入れていて、かつゲイターを忘れていたために靴の中に小石が入っていて、これを立ち止まったついでに除去しようと靴を脱いだ時に問題が起こった。右ふくらはぎが攣ったのだ。これは衝撃だった。
自分自身の中で色々な葛藤はあったが、結局のところ雲も通り過ぎて行く見込みがあったために山頂へアタックをかける決意を固め、但し大きな荷物はこの場に置いて、カメラとストックを持って目の前に見える山頂を目指すことにした。
この写真、ちょっとかっこよく見えるけど、実は画面中央左の岩の間にザックが置いてあって、これはこの写真のために撮ったものではなく、ザックを置いた場所を忘れないためにメモ用に撮影した写真なのだ。
そして念願の霊仙山山頂に到着。今思うと冗談でなく、この積み石が自分の墓石になるところだった。
山頂から琵琶湖方面への眺め。
すぐ後にした山頂への名残惜しさを表現した一枚。
この地点はあくまで山頂で、最高点はもう少し離れた場所にあるのだが、今回は事態が事態なのでそれはさて置き、とにかくザックを回収して下山のことを考える。
当初の計画では柏原駅から山頂までのピストンだったが、仮に歩けなくなったとしても一刻も早く一般道へ出るのが安全であるだろうと考え、汗フキ峠を経由して榑ヶ畑へ下りるコースへ方針転換した。
足が攣った後で速く歩くこともできないので、写真を撮りながらゆっくり進んでいると、だんだんと晴れ間が見えて来た。
遠くの斜面でシカがこちらを見ている。熊鈴の音に反応したのか?
さっきまでの雲は本当になんだったのか。すっかり青空だ。
岩場の間にもシカが。
1つ1つの岩の形に着目すると、石灰岩の性質を垣間見ることができる。
これがお虎ヶ池。
お虎ヶ池を撮っている最中に面白い雲を見つけたので、山と絡めて撮影。
画面左のピークが七合目。楽しく撮り歩いている内に時間も忘れてもうこんなところまで歩いて来た。
七合目のピークからさっきの写真の右側のピークを撮ったのがこの写真。太陽の方向ではないので琵琶湖の水面が反射せずにしっかり写っている。
七合目を過ぎると何度か切り返しのある下り道になり、五合目あたりから再び森の中へ入って行く。この辺りはロープが登山道のガイドになる。道に迷うようなところではないのでこの辺りは割愛。
下り道、帰り道
汗フキ峠の丁字路を右に曲がって下るとやがてかなやさんへ出る。ここからは川沿いに榑ヶ畑集落趾を下って行く。
5分程で榑ヶ畑登山口へ出る。はい、お疲れ様でした。
おまけ
榑ヶ畑登山口〜醒ヶ井駅
榑ヶ畑登山口から醒ヶ井養鱒場の間で、脇からアナグマが出て来て道路を横切って行った。警戒心がそれほど強くないと見えて、こちらの様子を伺いつつも急いだ様子もなくゆっくりと森へ消えていった。
醒ヶ井駅
醒ヶ井駅に併設してある醒井水の宿駅みゆきでは、霊仙山と米原市のご当地キャラであるむすび忠太を象ったピンバッジが(税別)500円で販売されている。正直なところ、忠太の部分は要らないなと思った。
そして醒ヶ井駅の待合室の椅子に置いてある座布団が、歩き疲れてパンパンに硬くなったお尻には大変ありがたかった。こういう些細な気遣いには感謝するばかりである。
まとめ
経塚山から汗フキ峠、そして榑ヶ畑までのコースを歩いたのは予定外だったが、結果的にそちらを歩いて写真の撮れ高が非常に良かった。霊仙山で歩くべきコースの1つだと言える。但し、今度はもっと天気の良い時に頂上を目指したい。