空撮影のすゝめ
空を撮り始めるきっかけ
伊吹山でのこと
先日、一年ぶりに登った伊吹山。一年前とは打って変わって、全行程を通して清々しいまでの晴れ空。
山頂のベンチに寝っ転がって空を見上げると、本当に手が届きそうなすぐ頭上を、雲が通り過ぎてゆく。青い海に真っ白な絵の具を零したように複雑な動きで青空を占めながら拡大して刻々と姿を変えていく雲の様相を観て、”曇って面白いなぁ”と思った。
"曇って面白いなぁ"と思って、"最近は、仕事以外での撮影が減ったなぁ"と思って、"仕事以外での撮影も増やしていこう!"と思って、"空や雲を撮ろう!"と思い至った。
参考書
空を撮ろうと思ったことは以前にもあって、その時はたまたま自分の仕事が忙しくなった都合で忘れていたのですが、当時買った"武田康男の空の撮り方"という書籍が積ん読になっていたのを消化して、いざ撮影に出かけた。
実際の撮影
とりあえず、撮ってみた
可もなく不可もなく。まぁ、"撮れているね"というレヴェル。ただ、"撮れた!"という手応えはなかった。
- 青空の見えていない曇天は撮り辛い
- 雲の立体感が出るから、意外と逆光での撮影もアリだ
- 現像が難儀
そんなことを感じた。空というのは奥が深そうだ。
雲以外にも
例えばご来光。こんなにダイナミックでドラマチックなことが日常の中で起きている。そう、空はまさに舞台上なのであって、そこでは明るい光や夜の闇に包まれながら、天体現象という名の様々なドラマが繰り広げられている。学生や主婦、ビジネスマンや浮浪者が往来を行き交うように、星々や雲も空を行き交う。
まぁ、そんなドラマが実際に起きているかどうかという事実関係は実はどうでも良くって、そう見えるかどうかが重要なのですが。
この頃の撮影
"どう撮ったらいいのか"あるいは"どう撮るべきか"ということが段々と分かってきた。夏は特に色々な雲を見ることができるようなので、これからも撮影を続けたいと思う。もちろん、そこにある空が面白くある限り。